宇部福原氏館/宗隣寺


宇部福原氏館


福原氏(安芸福原氏、ふくばら)は備後国守護長井氏に始まる
長井氏は鎌倉幕府政所初代別当大江広元の次男長井時広を初代とする大江氏の惣領家であったが、建武の新政で守護職を失い、さらに南北朝の争乱で当主が討ち死にした
そのとき長井家に養子に入っていた、毛利元春の五男、毛利広世が福原村に安芸鈴尾城(福原城)を築城、名字を長井から福原に代えたことから始まる
福原氏は毛利宗家を一貫してささえ、毛利家の重臣として厚い信頼を得ていた
  毛利輝元の代には吉川元春小早川隆景口羽通良福原貞俊の四人が中心となって毛利家を支えた

関ヶ原の敗戦以後、毛利は防長両国に押し込められ、萩藩となるが、江戸時代を通じて萩藩の家老として毛利家を支え続けた


第十三代当主福原広俊は、慶長5年の関ヶ原合戦の敗戦後、主家毛利輝元の萩移封に伴い、安芸鈴尾城(福原城)から長門に入国し、吉敷郡吉敷を領した。 その後、広俊の子福原元俊(第十四代福原家当主、隠岐守、福原家は主家毛利家からの偏諱により、同姓同名が多数存在する)が宇部8,000石へ所領替えとなった。
宇部福原氏館は、寛永2年に福原元俊によって築かれた。
歴代の福原氏当主は、萩毛利藩永代家老の重職にあったため、普段は萩に駐在し、知行地の実務は福原氏重臣によって行われ、灌漑用水の確保など地域の開発拡大を図ったため、幕末には一二〇〇〇石にも達した。


城の構造


福原氏館は、館は、周囲より一段高い地形に築かれ、正門脇には当時の石垣が残っている。
現在緑がきれいな史跡公園として整備されている。
館内の遺構は、祠と井戸である。せっかくの遺構に対し特に説明書きなどもない。
平屋建て二棟と土蔵一棟が建てられていたようだ。
館の正門は、萩城三の丸にあった福原氏邸正門を縮小して昭和四八〜五〇年の公園整備の際に土塀と共に建てられたもので当時のものではない。



     
福原邸跡の門
 昭和四八年に旧福原家屋敷門を縮小し再現したもの
福原邸跡内は公園になっている
福原邸の裏門 井戸跡




宗隣寺


宗隣寺 宝亀八年(七七七年)、唐より来朝した為光(威光)和尚が松江山普済寺として創建。その後寛文十年(一六七〇)福原氏が宗隣寺として建立
平成十年に本堂を再建。観音霊場の札所とか。

本堂の北側にある「龍心庭」は山口県最古の庭園で南北朝時代に築庭
池泉式庭園で全国唯二つしかないという山畔を利用した禅宗庭園
国の名勝庭園に指定


   
宗隣寺の門
 昭和四八年に旧福原家屋敷門を縮小し再現したもの
宗隣寺本堂
龍心庭
国名勝庭園らしい
まるで京都のよう




標高
比高 m
場所 福原邸跡:山口県宇部市上宇部字中尾1 google mapで見る
宗隣寺 宇部市小串210 google mapで見る
最寄り駅 JR宇部新川駅



    
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