金沢城 前田家


室町時代に本願寺一向宗の蓮如が加賀に入り,この地に尾山御坊という寺社城塞を築く
信長が北陸方面の攻略を柴田勝家に命じる
勝家配下の佐久間盛政(兄の信盛は石山本願寺攻略に時間がかかりすぎたとして高野山に配流された)が御坊を墜とし尾山城と改名して入城
本能寺の変の後の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家派は敗北
天正十一年(一五八三)尾山城には前田利家が入る
前田利家は最初は勝家派であったが,秀吉の説得により秀吉側として賤ヶ岳に参戦した
利家は,もと明智光秀の家臣で秀吉の命も聞かず,切支丹から改宗しなかった高山右近を加賀で預かり,この城の縄張りを命じた
秀吉死後,さっさと石田光成を見限り徳川方についた前田家は加賀安泰
まつが光成からの書状を封を切らずそのまま家康に送ったのが有名である
文禄元年(一五九二)前田利長が大改修した

前田利家,前田利長について


兼六園について
五代目藩主前田綱紀が延宝四年(一六七六)に作園したのが始まり
命名したのは松平定信で中国の洛陽名園記から,兼ね備えることが困難な六勝(宏大,幽邃,人力,蒼古,水泉,眺望)を備えている
岡山後楽園,ととともに特別名勝の一つ


城の構造
前田利家の入城により,本格的な築城が始まる
天正十四年頃には天守完成,その後高石垣,家臣屋敷等が整備されていった
慶長七年(一六〇二)落雷で本丸,本丸御殿焼失
この後,天守は建てられず,三階櫓が建てられる
この後何度も火事により焼失,再建をくりかえしている(宝暦九年,文化五年,明治十四年)




左から,菱櫓,五十間長屋,橋爪門続櫓


河北門 石川門




"> 兼六園
  activeXを許可してください 画面が変わります


標高
比高
場所 石川県金沢市丸の内
 mapionで見る
 google地図で見る
最寄り駅




    
↓その他本日おすすめの城

  
城一覧へ 国別検索へ 本陣(TOP)へ