三原城(新高山城)



毛利元就の三男,徳寿丸は12才で三矢の1つとして,小早川家に養子入りし,名を小早川隆景と改める
隆景は小早川家を継いですぐの天文二十一年(一五五二), これまでの高山城からこの城を築城し,本拠地を移した
小早川隆景は毛利水軍を統率し,また知将として厳島合戦などで毛利家の発展を支えた
天正十年(一五八二)に秀吉の備中高松城攻めで講和を図る
この時,武闘派の吉川元春を抑え,秀吉の追撃をしなかったことなどもあり,秀吉は隆景を高く評価した
後の豊臣政権では,五大老の一人にまで抜擢されている
隆景は慶弔2年没
関ヶ原で寝返った小早川秀秋は隆景の養子

慶長五年,関ヶ原の戦功により福島正則広島城に入ると,三原城には支城として福島正之を入れた
福島正則改易後は,浅野長晟が広島に入り,三原城には浅野家筆頭家老浅野忠吉が入る
その後は代々相続し,明治に至った




城の構造
天守台の広さは日本一であるが,安土城が出来る前であり,大きな天守閣を作るという概念がなかった
堀は海水を引き,干満により水位の変化する海城であった
現在は天守台のど真ん中にJRが通り,天守台は駅構内から歩いていける




左 天守台を外から見る
右 小早川隆景の像
    駅西口広場に


三原駅     天守台より


本丸天守台
    三原駅構内から行けます
三原歴史資料館
    三原港にある




標高  
比高  
場所 広島県三原市館町,城町,本町
アクセス 新幹線,JR山陽本線三原駅構内