根来寺,雑賀城



興教大師は高野山で勉強中であったが、当時の高野山の実情に憂い弘法大師の真言密教の神髄を伝えるために伝法院を建立した
鳥羽天皇の院宣なども得たが、高野山との間に不和を生じたため、大治元年(一一二六)に大伝法院を高野山から根来に移動ししたのが根来寺の祖
その後、根来は学問を確立し、真言宗三大学山になるとともに、寺領七二万石と大いに栄えた
室町時代になると、どの寺社も自衛のため武装するようになり、津田監物ポルトガルから種子島に伝来した2丁の火縄銃のうち、一丁を手に入れると、当時の自治部隊としては鉄砲をかなり所持した強力な部隊となった
隣の雑賀衆も鉄砲をかなり所持しており、両者ともに金で雇われて各地を転戦する傭兵部隊となる

石山本願寺の合戦 豊臣秀吉
根来衆 織田信長側 抵抗
雑賀衆 本願寺側 抵抗


織田信長が台頭してくると,一向宗と真言宗が対立していたこともあって,石山本願寺の合戦を初め織田信長に協力している
しかし,豊臣秀吉の時代になると秀吉には小牧,長久手で徳川方につき,秀吉軍を奇襲したことから,秀吉の討伐を受けることとなる
天正十三年(一五八五)には秀吉から根来攻めをうけ、根来衆は各地に拠点を置き,鉄砲,大筒を活用して抵抗するも次第に追い込まれていく
一兵の放った火矢が火薬庫に引火し城丸ごと大爆発し吹き飛んだこともあった
本堂まで攻め込まれる頃にはすでに抵抗する戦意を失っていたが、焼き討ちに遭い、大伝法院の一部を残して根来寺は全焼した
その後、紀伊徳川氏の庇護を受け、主要な伽藍が復興された
また,覚鑁上人の功績が称えられ、天皇より「興教大師」の大師号が下賜された

こうして,静かな根来寺に生まれ変わり,現代へと至る

昭和三十三年に庭園が国指定名勝、平成十九年には境内が国指定史跡となった


雑賀孫一について

石山本願寺の合戦で本願寺側について、鉄砲で信長軍を苦しめた雑賀衆を指揮したとされる人物
そのような名前の人物はおらず、雑賀衆中最も有力な鈴木家の誰かであろうと考えられている
鈴木重秀あたりか?


根来寺ホームページ


傭兵部隊の本拠地
根来衆 根来寺 和歌山県岩出市ねごろ
雑賀衆 雑賀城(妙見山城) 和歌山県和歌山市和歌浦
弥勒寺山城 秋葉山



きれいなお寺です
昭和三十三年に国指定名勝となった庭園
大塔
立派です



和歌浦展望台 ここから見る夕日は絶景 ここは雑賀の拠点の一つ,雑賀ア城があったという
この地には他に本願寺を退去した教如が隠れていた上人窟や,江戸時代異国船に対する警戒のための番所がある



弥勒寺山城 織田信長の紀州征伐で,雑賀孫市がこの地を決戦の地と定め、激戦を繰り広げたという
妙見山 ここが雑賀の本拠地雑賀城 麓には養珠寺,津屋公園(アスレチック)



雑賀衆は土豪の共同体であり,城というか小砦はたくさんあり,場所も明確でないのが多い
織田信長下天夢紀行のHPの雑賀のコーナーに詳しい

標高  
比高  
場所
 
雑賀城 和歌山県和歌山市和歌浦中3
根来寺  和歌山県岩出市ねごろ
弥勒寺山城 和歌山県和歌山市秋葉町
最寄り駅



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