八上城/篠山城 明智家松平家
 
 
 
高城山に波多野氏が建てた八上城が原点
三好長慶, 松永久秀らに一度は城を奪われるも再び奪還 晴道,秀治の時に, 織田信長の上洛に対し一度は臣従するも, 天正四年(一五七六)に始まった丹波攻略に際して反旗 毛利氏や赤井氏に援助を受けながらも, 明智光秀により攻められ天正六年(一五七八)滅亡 以後明智光秀の所属となる この時明智光秀の母(伯母?)が磔になったという
光秀が負け, 秀吉政権下になり前田茂勝(五奉行前田玄以の子)が入城
徳川政権になり, 大阪城と西国との連携を断ち切るのにこの地を要衝と見た家康の命を受け, 慶長十三年実子松平康重が入城 松平康重は八上城を廃城とし, 西国十五カ国二十大名八万人を動員, 僅か六ヶ月の期間で篠山城を築城した 縄張りは築城の名手, 藤堂高虎によるもの
以後松平八代, 青山六代を経て維新を迎える
明治維新以降は大書院をのぞき破却
大書院は篠山築城時に建てられ, 江戸時代には藩の公式行事等に利用 維新による廃城後も, 小学校, 女学校, 公会堂等に利用されていた 昭和十九年に焼失 平成十二年に再建された


城の構造
型で三の丸と中心部は深い堀で隔てられている 本丸と二の丸の間には掘り等はない
北と南と東に3つの馬出し
現在の青山神社が本丸
天守台はあるが、天守は築城当時より建てられなかった
一説にはあまりに篠山城が堅城過ぎて幕府が恐れたためと言われている
八上城, 篠山城とも国指定史跡 篠山城は日本百名城の一つ
 
 
 
     
篠山城大書院
  平成十二年に再建された  規模としては名古屋城に次ぐくらいの大きさという


         
本丸敷地が現在は青山神社に
天守台 天守は最初から建てられなかった


              
東馬出  東,南馬出は周りの掘もきちんと保存されています!!
南馬出 南馬出の土塁も健在!!


      
篠山藩地方役所の建物とその門
この城は周りの建物はじめとても保存状態がよく歴史的価値はかなり高いです
篠山町役場の建物
現在は大正ロマン館という名でお土産屋さんとして利用されています



 
 
標高  
比高  
場所
 
八上城 兵庫県篠山市八上上字高城山
篠山城 兵庫県篠山市北新町
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最寄り駅 JR福知山線篠山口駅よりバス二階町下車 


    
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