周防山口城


山口城は、幕末の元治元年に毛利敬親によって築かれた
  毛利敬親は第十三代長州藩主、もと毛利家家老の福原家の長子
幕末の長州藩主となり、攘夷や藩校明倫館の改革、二度の長州征伐を経たのち、薩摩と協力して明治維新を成し遂げた
文久三年、敬親は譲位を決行するため便の悪かった萩城から山口に築城した。
表向きは長州藩ではあくまでも「山口屋形」と称していたが、堀や立派な門があり、藩外からは「山口城」と呼ばれていた。
 元治元年、第一次長州征伐にて毛利敬親に謹慎し、第二次長州征伐の後、明治維新になってから再度山口に拠点を移した


城の構造  山口城は、現在は山口県庁となっている
居館造りであったが、背後に高嶺城のある高嶺、前には堀を廻らした構えは、十分に「城」と云えるだろう。
 現在、城の遺構としては表門(脇門付薬医門形式)と屈折した水堀と石垣が一部残っている。 大手は石の土橋が架かり、大手門は山口藩庁門として県指定有形文化財となっている。
県庁の内部には藩庁時代のものではないが、大正時代初期の旧県庁舎と旧県会議事堂が残り、こちらは国指定重要文化財である。




     
山口県庁
現存する水堀の一部 鯉が泳いでいます



標高
比高
場所 山口県山口市滝町
最寄り駅 JR山口駅




    
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