膳所城
 
琵琶湖にかかる瀬田の唐橋は東海道, 中山道に通じ, 源平時代より東西をつなぐ要所であった
信長, 秀吉が琵琶湖ネットワークを作ったのと同様, 徳川家康が第一弾に取りかかったのが, この膳所城である
大津城が近くの山からの射程距離に入るため, ここ膳所に築城されることになった
設計はやはり築城の名手藤堂高虎
城主は戸田,本多,石川と続いた後再び本多家の所有となり明治を迎えた 
明治維新の際には全国に先駆けて廃城した 
 
 
 
城趾の遺構はほとんど残っていない
 
湖中に石垣を築いて建てた水城 本丸と二の丸の間には廊下橋でつながれており, 本丸は四層四重で各郭に櫓があったため その美しさは日本一といわれ「近江名所図絵」にも描かれている
本丸郭内には建築物などは何も無かった
美しかった水城も次第に荒れていき,江戸中後期には狐狸が住まうほどの荒れようであったという
 
明治の廃城とともに破却
城門は各所に移築
膳所神社(膳所一丁目)表門が、本丸大手門
篠津神社(中庄一丁目)表門が、北大手城門
以上重要文化財
 
近くには義仲寺(芭蕉庵)
 
  


近江名所図絵の膳所城



義仲寺 芭蕉庵


     
膳所神社北門
  もともと膳所城の東郷長屋門だった
膳所神社正門
  膳所城の大手門


篠津神社表門
  膳所城北大手門


膳所城址公園の入り口の門
  城門風にしてあるが,現存や復興門ではない
本丸天守台の石垣
  四層四重の天守が湖水にそびえる水城だった


標高  
比高  
場所  滋賀県大津市本丸町7
最寄り駅 京阪石山坂本線 膳所本町駅


 
 
       
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