櫛崎城(長府城,串崎城)/長府毛利邸 毛利家





もともとは大内家家臣内藤隆春の居城であった

毛利秀元毛利元就の四男徳田井元清の長男であった
当初,輝元の養子として相続予定であったが,実子秀就が生まれ, みずから輝元の元を去る
しかし, 毛利家での地位は高く毛利秀元は防府,長門2州を支配, 関ヶ原では病の輝元の代わりに毛利本軍3万を率いていた
慶長五年関ヶ原に毛利家は敗北
毛利家自体が長門2州に押し込められ, 秀元は長府六万石の城主となった
それによりこの城を改修し, 長府の居城とした
長府藩は,毛利三支藩(長府,徳山,清末)の筆頭であった

しかし, 元和元年の一国一城令で廃城となった

関ヶ原のときの毛利氏の動向はこちら⇒広島城へ



近くには, 幕末敗戦続きだった, 長州藩を立ち直らせ, 維新の主役とさせた高杉晋作が初めて挙兵した功山寺, 長府藩の家老西連長の屋敷跡を整備した長府庭園, 平氏が源氏に追われ最後に散った壇の浦(みもすそ川公園),赤間神宮(安徳天皇を祀った神社),宮本武蔵佐々木小次郎が対決した巌流島,などがあり, 歴史スポットには困らない

立地条件として下関駅にとても近く, 周りにいろいろある点がポイントアップか
また海を10分渡れば門司港にも行け, レトロな建築がいっぱいある


しものせき観光ホームページ


城の構造

天主台は依然あった鯨資料館の南, 北は豊功神社まで


長府城下町の面影を残しています
菅谷長屋門,練塀
菅谷家は秀元に招聘された,名門の医家



紅葉がとてもきれい 川には鯉や鴨もいる



長府毛利邸
屋敷内もきれい 明治天皇御宿泊の間
下関市立長府博物館
毛利元就,秀元自画像や直筆書状が貯蔵されている



功山寺と功山寺内の高杉晋作の像
蛤御門の変, 禁門の変と京で帝を奉り倒幕を企てるはずが,逆に負け続きでついには京から閉め出された長州
そんななか, 高杉晋作はここ功山寺で初めて挙兵した その数わずか八〇
しかし次々と撃破し,ついには長州征伐の幕府軍を打ち破る
ここ功山寺から長州藩の維新は始まった?  「ただ今より長州男児の腕前をお目にかける!」



豊浦高校の外壁
壁のボロさはあたかも当時の遺構のよう
けど屋根は異様に新しいという……
三の丸の北西角 櫓のようだがただの民家



平氏が源氏と最後に戦った壇の浦(みもすそ川公園)にある源義経平知盛の像
この上の橋が関門海峡



宮本武蔵佐々木小次郎対決の像@巌流島
ちょうど後ろに関門海峡が見える


唐戸の郵便局 門司港駅舎



標高
比高
場所 櫛崎城:山口県下関市長府宮崎町
長府毛利邸:山口県下関市長府惣社町4-10
最寄り駅 JR山陽本線下関駅よりバス