神戸城


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信長の三男織田三七郎信孝の,江戸期には本多氏一万六千石の城である.


神戸氏は, 亀山城の関家から領地を分けられ分家した伊勢の豪族である
神戸友盛は,永禄十年(一五六七)の滝川一益の侵攻に和睦し,信孝を養子にうけいれた.
信長的には上洛路確保のため伊勢攻略が重要で, 高家北畠氏の養子として次男信雄を, 神戸氏の元へ三男信孝を養子として送り込んだ.
六角は関盛信,神戸友盛に家臣の蒲生氏の娘を結びつけていたが,信長に踏みつぶされた
信孝は元亀二年(一五七一),友盛を隠居させ,実質神戸氏の当主になる
信孝は反対派平定後の天正八年,城の拡張工事を行い,南北600m,東西900mで五層の天守,二の丸御殿などもたてた.

天正十年,信孝は四国攻略に向け堺で準備中に本能寺となった.
信孝は岐阜城に入り清洲会議で柴田側につくため,賤ヶ岳の後切腹させられる.

次男信雄清洲城主秀吉 前田
三男信孝岐阜城主柴田 滝川

それまでに神戸城は秀吉方に落ち,滝川雄利が入るが関ヶ原に負け,その後の一柳氏の時,廃城となる.

慶長から再び城主が入る. 石川,本多氏と続いて明治維新となる.



城の構造

南北600m,東西900mで二の丸,三の丸まであり,五層の天守,二の丸御殿などもあった.
石垣は4mあった.

が,一柳氏の廃城の時亀山城,桑名城に移された.
遺構は石垣の一部と天守台のみ.堀は鯉の池になっています
今は本丸の東側(二の丸,三の丸)は県立神戸高校になっていて,近辺は神戸公園として整備されています.


左 本丸の石垣 右 神戸城一体は公園になっています
となりは神戸高校です

本丸石垣


 堀の所は鯉の池に
 なっています



標高  
比高  
場所 三重県鈴鹿市神戸本多町
最寄り駅 近鉄鈴鹿市駅 or 伊勢鉄道鈴鹿駅