小倉城



慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原で、東軍として活躍し、豊前一国と豊後国二群を与えられた細川忠興(妻はガラシャ)は豊前中津城に入城するが、より条件のよい小倉に築城を開始
六年の歳月をかけ、完成
当時は「南蛮造り」(唐造り)の城として全国でも珍しかった
細川氏二代目で熊本城に転封、以後小笠原氏が入城し九代続いた
明治維新に当たり、長州藩に攻められ慶応二年(一八六六)に消失
藩主小笠原家は早々に逃亡したため、評判が悪くなった
以後、再建されることはなかったが、昭和になり少しの趣向を加え、再建された





城の構造
響灘に臨む紫川河口の丘陵であり、本州と九州を結ぶ要衝の地
石垣17m 南北1.3km 外郭2km 櫓148、門48という巨大な城であった 天守は本来は破風のない四層五層の層塔型であったが、昭和三十四年に再建するに当たり、大小の破風をつけさらに平櫓であった小天守を二階建てとした
最上階の五階が四階よりも大きく、望楼風になっているのは受け継がれている
堀には響灘の海水を引いており、海城でもあった



「リバーサイド」とかいう巨大な建物のおかげで、かなりひっそりとしてしまった小倉城
左隅にちらっと見えてます
リバーサイド」のスタバでテラス席に座ると、小倉城を眺めながらコーヒーが飲めるという贅沢
小倉城日本庭園から見た小倉城
かなりいいカンジです
八坂神社 乃木希典の居宅
小倉城の真ん前にあったよう
今じゃ巨大な建物のすそにあるだけですが‥
最上階の五階が四階よりも大きく、望楼風になっている
これがあるのは小倉城と高松城くらいという
こんなご時世になっても日本の城は外国人たちに人気です



大手門 槻門 西ノ口門
旧第十二師団司令部の正門
明治維新で消失後、本丸には陸軍の司令部があった
コンクリート城として復元されるに当たり2階建てとなった小天守

標高
比高
場所 福岡県北九州市小倉北区
最寄り駅 JR小倉駅






    
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