大和郡山城


天正三年(一五七五),信長は大和国守護の座を松永久秀から奪い,筒井順慶に与えた.
その筒井順慶は信長の命を受け,天正五年(一五七七)謀反を起こした松永久秀を信忠の下,攻め,自害させた.
大和国を平定した筒井順慶が天正八年(一五八〇)に信長の命で,明智光秀の指導の下,大和支配の本拠地として建てたのが大和郡山城である.
後,天正十三年(一五八五)大和大納言秀長が入り,紀伊,和泉,大和三ヶ国百万石を有する.城郭,城下町などの本格的整備を進め,現在の城郭の基礎を築く.
次の増田長盛の代に,その総縄張りが完成した.
その後,水野,松平,本多など,家康以来の譜代の功臣が入り,享保九年(一七二四)綱吉の側用人で老中まで務めた柳沢吉保,の子吉里が代々の甲府より転封,金魚養殖や学問に力を入れる.
儒学者熊谷蕃山,剣術指南,荒木又右衛門も住んでいたこともあった.
石垣は地蔵石などをそのまま使い,中には逆さにはめたのもある.

桜の名所でもあり4月にはお城祭りが開かれる.下の写真はその時のものです.


左下 追手門
右下 鉄御門跡

左上 天守台
右上 追手門向櫓
左下 毘沙門郭より本丸見る
右下

左上
右上 毘沙門郭と本丸つなぐ土橋
左下 追手門東隅櫓
右下




標高
比高 約70m
場所 大和郡山市城内町google mapで見る
最寄り駅 近鉄京都線大和郡山駅






 
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