福岡城 黒田家



黒田孝高如水,黒田長政が関ヶ原の戦功により,筑前五十二万を賜った際に築城した城
玄界灘を一望し、博多津、唐津、大宰府へ通じる街道を押さえる要衝の地に築かれた
江戸に入り, あまりの広大さに,黒田は外様であるため,遠慮して本丸を作らなかったと,か壊したとか諸説ある


竹中陣屋のところでも触れたが,秀吉のもう一人の軍師竹中半兵衛とあわせて,「両兵衛」「二兵衛」とよばれる
織田の毛利攻略中に荒木村重の寝返にて, 友人でもあり, 昔同じ小寺家家臣だったよしみで単身説得に行き,幽閉されたことは有名
有岡城攻略後に助けられたが,立てなかったという


明治初期の廃城令で多くを失い、南丸多門櫓.祈念櫓.伝潮見櫓を残すだけとなる
唯一遺構を伝えた大手門も平成十二年(二〇〇〇)に不審火で焼損した




多聞櫓中庭


多聞櫓 すべてつながっています


裏御門跡


天主台より二の丸を見る東御門跡






標高
比高
場所 福岡県福岡市中央区場内
最寄り駅 地下鉄大濠公園駅